週刊ポスト4月1日号。とても勇気づけられる表紙だ。
ひととおり読み終わった。さまざまな記事がある。中には事実と違うんじゃないか?と思うものもあったが、それはそれでいい。
「放射能がくる」ではなく「日本を信じよう」というメッセージを発してくれたのだから。
以下、4月1日号に掲載されている、ビートたけし『21世紀毒談特別編「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ』からの引用。
こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。 だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。 そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。 被災者のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは
「妻が」「子供が」だろ。そう考えれば、被災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えているんだから。 人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。 どんなに長く生きたいと願ったって、そうは生きられやしないんだ。
「諦め」とか「覚悟」とまではいわないけど、それを受け入れると、
何かが変わっていく気がするんだよ。オイラはバイク事故(94年)で死を覚悟してから、
その前とその後の人生が丸きり変わっちまった。 今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、
それから後の人生は、夢をみているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思って
ゾッとすることがあるんだ。 そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやって
ゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。 諦観すると見える世界が変わるということですかね。
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