サッカーではポルトガル語で「ずる賢さ」を意味するマリーシアという考え方がある。Wikipediaによると、
サッカーにおける「マリーシア」には「機転が気く」「知性」という意味があり、本来は「駆引きを行い試合を優位に運ぶ」行為を指し、「ルールの裏をかく」といった反スポーツ的な意味合いはない
とあるが、自分が聞き及んでいる範囲では反スポーツ的な文脈で使われるケースが多いように思う。
先日の浦和vs横浜FCでボニが興梠を倒しPKになったシーン。
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— DAZN Japan (@DAZN_JPN) September 29, 2023
PK職人が意地の一発👊
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アレクサンダー・ショルツ
短い助走からGKの届かないコースへ🎯
🏆明治安田J1第29節
🆚浦和×横浜FC
📺 #DAZN ライブ配信中#浦和横浜FC pic.twitter.com/A6vJAA19iD
疑惑のシーンはこの動画の22秒ぐらいから見られるが、DAZNの中継では他のアングルの映像もあり、そちらを見れば興梠が主審の死角でボニのシャツを数秒間引っ張り、それをボニが払ったタイミングで興梠が故意に転びレフリーを欺いたことがわかる。
Jリーグジャッジリプレイ#28でこのジャッジを取り上げていて、家本さんは「PKはありえない。現場でジャッジできなかったのも、VARが入らなかったのも残念」と言っていた。
この「マリーシア」なプレイによる誤審で、降格争いをしている横浜FCは勝点2を失い最下位になった。
「サッカーではマリーシアが必要」と良く言われるが、それは本来の意味である「駆引きを行い試合を優位に運ぶ」ことであり、審判を欺く反スポーツ的な意味合いではないだろう。
なにより、こういう卑怯さは武士道における美意識にそぐわず、日本人の根底にある感覚と相いれないものだと思う。
武士道の重要な道徳は、嘘を言わない、利を軽んじ義を重んじる、卑怯なふるまいをしない 、死を覚悟した勇気をもつ、などである。
このような道徳を支える根本に名誉心、あるいは名誉心と不可分な自尊心がある。嘘をつくこと利欲に負けて不正を行うこと、命を惜しんで卑怯にふるまうことなどは、何より大切な名誉を失う行為である
このようなプレイは、こどもたちに見せたくないものだ。